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バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

≪香港≫カイタック空港と運ちゃん!

             ≪八月十六≫    ―爾―



  飛行機が空に舞い上がって、一時間が過ぎようとしていた。


 もちろん下界は海。


 今までの豪快な雲海と違って、まるで綿のような雲が海上を漂流して

いる。



  だんだんと日が落ち始めたのか、夕日に照り返された雲が陽射

しの中で浮かんでいたものと、まるで違った様相を見せ始めている。


 大海原を、一艘の白い船が、白い筋を引きながら、キラリと輝いて見

えた。



  左座席に座っているせいか、今の今まで島影らしい島影を見る

事はなかった。


 18:00、やっと島影が目に入ってきた。


 飛行機がどんどん高度を下げ始めると、山の様子や小さな家々がはっ

きりと見えてくる。


    「香港だ!」
 降下と共に異様な景色が目に飛び込んで来

 た。


 山に押し出されるように、高層ビル群が迫ってきた。



  なんと飛行機はその高層ビル群に機種を向けた。


    「ビルの中に滑走路があるの?」


 どんどんビルの中に突っ込んでいく。


 海や山の姿が視界から消えた瞬間、飛行機は大きくバウンドして滑走

をはじめた。


    「着陸だ!」


 機内では誰かれなく、一斉に拍手が起こった。


 いつまでも鳴り止まない拍手が次第に大きくなる。


 無事に着陸した安堵感から、自然発生的に拍手が湧き起こった。


 あの離陸寸前に修理したポンコツ飛行機が、よくここまで飛んできた

という安堵感から始まったのか。


 この機には、ユーモアのわかる人達が多く乗っていたのかも知れな

い。



  飛行機から降りる頃には、もう夕日がビル群の中に没しようと

している所だった。


 出迎えのバスに乗り込んで、空港オフィスに入る。


 啓徳空港(別名?:カイタック空港)だ。


 オフィスに入ると、まず待ち構えているのがナース(女性)である。


 ここでイエローカードがチェックされる。


 次にパスポートや機内で記入するように言われたランィングカードを

見せる。


 そして、最後に荷物検査。



  飛行機から運ばれてくる荷物は、手荒く扱われてきたのか変形

している荷物が多い。


 厄介と思っていた荷物の検査は、女性係官のところで実にスムーズに

進む事が出来た。


 一言二言言葉を交わしただけで、荷物にも触れようともせずにパスす

ることができたのだ。


 空港内では、銃を持った半ズボンの警官が何人も目を光らせていて、

犯罪者は誰も入れないぞという警備体制が敷かれている。


 噂どおりに凄い街である。


    「びびるなー!」



*


税関を出て、最初の仕事がマネーチェンジ。


       ≪1HK$≒61円≫


 それを済ませると、重い荷物を肩から下ろし、身軽になる為安宿探し

をはじめなくはならない。


 空港オフィスを出る頃には、もうすっかり闇が街を包んでいて、高層

ビル群の灯りが美しく輝いていた。


 台北空港での飛行機の修理が、全ての計画を狂わせてしまっていたの

だ。



  ここからは、”親指一本の旅”(和智香著)の一説を引用させて

もらう。



  ―バスを探すのも面倒なので、四人でタクシーに乗った。北京

語は全く通じず、ここでは広東語オンリーだ(最も公式の場では通じる」

が)。        

 香港は二度目だったので、今晩の宿はだいたい見当をつけていた。九龍の

スターフェリーの近くにYMCAがあり、その近くにIYACと言う安い宿

がある。YMCAへ行くようタクシーの運ちゃんに言うと、わからないよう

な素振りなので、すたー・フェリーに行けといった。


  すると三十歳ぐらいのその運ちゃんは、早口で汚らしい例の広東語

でなにやらブツブツこっちに向かって言ってたが、とにかくタクシーは走り

出した。なんだか私には随分と遠回りしているように思えたが、10分もす

るとYMCAの大きなビルが見えてきた。                             
  ここで初めて解ったのだが、九龍にYMCAは二つあったのだ。私が行

こうとしていたYMCAはスターフェリーの近くにある奴なのに、ここはそ

こまで歩いて30分以上も離れたウォ―タールー通りだった。                                         あれほどスターフェリーの近くを強調したのに、この運ちゃん、わざと遠

い方へ連れて来たのではないかと思うと、案の定、メーターは三ドル四十セ

ント(香港ドルで200円)なのに二十ドル(1200円)を要求してき

た。
  
  われわれのリュックは荷物代として、一個五ドルで四つだから二十ドル

なのだという。メーターのことは何も言わない。            

  日も暮れて、辺りは人通りのない暗い道だ。運ちゃんは凄い剣幕で金を

回収しようとして声が大きくなる。私がこの手の運転手を世界中で経験して

いる事をかれは当然知らない。


  ここは一つ、こちらが四人であることを利用して、この運転手を穏

やかに脅かす事にした。私のほかは、大学時代に合気道をやっていた東川君

(実はやった事がない)と身長180センチ以上の新保君、それについ先月

まで荒くれ土方を取り仕切る現場監督をしていたヒデ坊と、メンバーに不足

はない。         

   まず、私がメーター通りの料金以上は絶対払わない事を運ちゃんに告

げ、当然彼はカンカンに怒るのだが、それを見てから、ではポリスを呼ぼう

と言って、ヒデ坊を賑やかな街の方へ走らせた。もともとポリスなど呼ぶ気

など毛頭なく、走っていったヒデ坊は角を曲がった所で、様子を伺ってい

る。     
   
  一人減ってもこっちは若い男が三人もいる。運ちゃんは一人でファイテ

ィングポーズを取って今にも噛み付きそうな勢い。私は手帳など出して、お

もむろにタクシーのナンバープレートを一文字一文字見ながら、わざと慎重

に控えていると、一分もしないうちに運ちゃんの顔に不安気な様相が現れ、

明らかにポリスを気にしているのが伺え、だんだんソワソワし始めた。  

  そこを見計らって、料金を荷物込みで五ドル払ってやると言うと、半分

手が出ているのだが、さっきの意気込みの体裁もあってか、なかなか受け取

ろうとしない。「じゃあ・・・一ドルのチップだ」と言って六ドル(360

円)出してやると、待ってましたとばかりにさっと引っ手繰り、一目散に逃

げて行った。     

  後で、六ドルはちょっとやり過ぎたかなと後悔もしたが、香港での初日

の勉強だと思えば安いものだ。

 ―

  その様子を角で見ていたヒデ坊が顔を出した。


    ヒデ坊 「どこにもポリスいてへんわ~~~!」



                      *



  タクシーが走り去って、荷物を担ぎ上げると、目の前の高層ビ

ルがYMCAのビルだった。


 フロントでは、何人かの香港娘がカウンターの中にいる。


    ヒデ坊 「可愛い子ばっかりや!」


    会長  「いくらでっか?」


    娘さん 「二人一部屋で77香港ドル(≒4700円)で

          す。」


    会長  「しょうがないか!」
 かくして、香港での一夜

  は豪華な宿となってしまった。


 ルームキーは13階で、俺は会長と同室と言う事になった。


 部屋に入ると、さすがに設備は一流、何から何まで一流の趣がある。



  部屋に荷物を置くと、早速外に出る。


 暗くて静かな通りから、二三分も歩けば、ネオン輝く銀座?通りであ

る。


 流れる車はネオンのトンネルをくぐって走っている。


 何しろ、大きな看板が道路の中央部までせり出してきているではない

か。



  この小さな狭い島に、これだけのひとが住んでいるとなると、

どうしても建築法規など緩和の方向に進むんだなー!と感心してしまう。


 一歩裏通りに入ると、庶民の生活の匂いがプンプンしてくる。


 屋台の中からは、賑やかな話し声が聞こえてくる。


 こんな所には不釣合いな、スタイリストのアベックがあちらこちらで

目にする事ができた。



  我々も、そんな湯気の立ち上る、生活臭のする裏通りで食事を

した。


 食事は”切鶏瀬飯”、ビールは”生加卑酒”。


 早速、冷えたビールで祝杯をあげる。



                    *



  YMCAに戻ったのがPM10:00を過ぎていた。


 1311号室に全員集合(といっても四人だが)、フリータックスで

買ってきたジョニ赤を開封して、二次会へと突入していく。


 台湾へ残してきた仲間を肴に、話がはずむ。



  0:45、部屋に戻ると、疲れたのか会長はすぐにベッドに入

ってしまった。


 俺は一人、シャワーを浴びて旅の垢を落とし、洗濯を済ませる。


 日本を出て二日目の夜を迎えた。


 部屋のクーラーが少し効きすぎているようだ。




≪香港は、主に新界、九龍、香港島、ランタオ島など半島と小

さな島々から成り立っている。1842年、南京条約によって、香港は英国

に割譲され、さらに1860年の北京条約で九龍が割譲、また1898年に

新界が、99年間の租借地となり、英国の植民地として現在にいたってい

る。今は返還されているが。


住民の98%が中国人で、そのうちのほとんどが広東省出身、だから日

常語は広東語が使われている。中国と陸続きの為、中国の影響が強くビクト

リアの高層ビルの上には【毛沢東万歳】といった大きな看板がかけられてい

る。≫



         YMCA、INTERNATIONAL、             
             HOUSE



            23、WaterlooRoad,Kowloon,

                  HongKong

               
Cable:”FLAMINGO”Kowloon,HK


                 Telephone:3-880111


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